日本に核武装は必要なのだろうか?
最近国際政治の話題といえば、北朝鮮の核実験ばかりである。
それは無理からぬことである。
平和を願う一国民としては、早くこの問題が収束することを祈るばかりである。
ところで、以前もこのブログで書いたが、このどさくさに紛れて、日本も核武装すべきと主張する人間がいる。
しかも政治家の中にだ。
その論理が北朝鮮の核実験の根拠と同じなので、笑わせてくれる。
ひょっとしたら金正日の回し者だったりして。
そもそも現代において核武装が必要なのだろうか。
日本の近隣国である中国も核を保有しているが、北朝鮮の核実験については、北朝鮮の暴走を抑えるために他の国々と連携している。
同じ共産主義国であり、朝鮮戦争で支援した北朝鮮の行動を中国も抑えようとしているのだ。
これは冷戦時代にソ連とともに共産主義の道を進みながらも、ソ連の影響力を抑えようとして核の保有に乗り出したころの中国と異なると考えるのは早計だろうか。
このころは中国は自らの路線を強烈に主張し、他の国々との軋轢も辞さなかったように思える。
しかし、現在中国は核実験を凍結しており、北朝鮮の核実験も封じ込める側に立っている。
もちろん、中国が人道的な見地から北朝鮮の核実験に反対しているのではなかろう。
同国とは陸続きで、金正日体制が崩壊したら、難民流入などの問題が発生するといった現実的な問題もあろう。
だが、中国が以前に比べると国際協調路線を採るようになってきたのも、また事実といえる。
筆者はここに国際政治の流れが変わりつつあることを感じる。
翻って日本の政治はどうか。
国際協調路線と称して、アメリカの起こしたイラク戦争に自衛隊を派遣したかと思えば、今度は核武装ときた。
確かに核不拡散条約には、核を持つ国と持たざる国を固定化して不平等だという意見もある。
しかし、それ以前に日本の外交的なスタンスがどうなっているのかという問題があるのではないか。
国際協調路線としてイラク戦争に自衛隊を派遣したと思えば(というか対米協調、いや従米か)、靖国問題でアジアの近隣諸国と軋轢を起こし、そして今度は核武装を論じるという外交スタンスは、果たして国際社会で受け入れられるのだろうか。
日本と北朝鮮の間には、拉致問題など解決すべき課題がある。
他国からも協力を得なければならないこの問題を解決するためにも、今一度日本の外交スタンスを検討する必要があるのではなかろうか。
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