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2006年8月12日 (土)

批判に対して答える~小泉そして靖国

小生が書いたブログ「日経の富田メモが誤報だと叫ぶ人たち~でも、それがどうしたの?」に対して「批判」が来た。
なぜカッコ書きで批判と書いたか。
それは小生の書いた内容と批判の矛先がずれており、批判になっていないにもかかわらず(それどころか勝手に解釈されている)、「批判トラバ」と称してトラバが付けられたからだ。 小生が書いたブログの内容は以下のとおりである。

  • A級戦犯の合祀に対して昭和天皇が不快感を示したという富田メモが誤報だと主張する人が一部にいるが、そのような議論はまったく無意味。
  • 関係者にはA級戦犯の合祀に昭和天皇が批判的だったという証言がある。最近の資料でわかっていることだが、A級戦犯は東京裁判にかけられた一方、昭和天皇は日本の占領政策に不可欠とGHQが判断して、東京裁判にかけられなかったことがわかっている。自分が戦犯として裁判にかけられる可能性があったことを昭和天皇は十分認識していた。そのような状況の中で、天皇がA級戦犯の合祀された靖国神社に行くようなことは考えにくい。
  • 小泉は靖国参拝を政治利用している。靖国参拝について意見を求められると、意見は二転三転。何らきちんとした回答が出来ない。富田メモでのうろたえぶりがそれを表している。最近は心の問題で逃げているが、所詮は政治パフォーマンスが目的だろう。
  • そんな小泉の参拝を見て、中韓に毅然とした態度を取るだなんて喜んでいる人間もいる。そういう人間に限って富田メモに残された天皇の言葉を政治利用するなと言ったりする。そんな奴こそ、参拝を政治利用する小泉ポピュリズムに政治利用されているのだ。

そこで、このブログへの批判を検証していく。
以下引用であり、赤字はこのブログ批判者の文である。
なお、丸数字は説明のために小生が付けた。

>ぴーひょろのぼやき >日経の富田メモが誤報だと叫ぶ人たち~でも、それがどうしたの

http://onimanju.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/abc.html

>侍従長がそのようなことを言っていたという記録はあるようだが、それがどうしたの? 昭和天皇はどう考えていたのかということとは全く別である。 不快感が侍従長の言葉としても、天皇が不快感を示さなかったということにはならんのよ。


天皇が不快感を示さなかったということにはならない。示したということにもならない。
昭和天皇の言葉でない代弁は昭和天皇の言葉ではないから。

>また、小泉首相は中韓など無視して靖国参拝をすべきだという輩がいるが、こいつら本当に笑える。 だってさあ、小泉が靖国に参拝するのは、戦没者遺族の票が欲しいがためだよ。

>以前は、公人でも私人でもなく参拝していると言いながら、周辺諸国が反発すると、閣僚が口をそろえて内政干渉だと叫んだ(本人は内政干渉と言わなかったが、そうではないとも言わなかった)。 ところが、最近になると、「心の問題」や「信仰の自由」などを口に出すようになった。 何のこっちゃ? 要するに参拝する理由などどうでもよいというのが実態なのだ。

>だからこそ、富田メモが出たときも、「昭和天皇は昭和天皇で思うところがあって」や「心の問題」とひたすらオウムのように繰り返し、自分自身の心の説明もしなかった。 信仰の自由なんだから説明する必要もないといえばないが、そもそも日本の首相だし、参拝していることをおおっぴらにしているんだろ。 そのくせ、これだけ国民が注目しているのに、何一つ満足な説明も出来ない。 それどころか、「A級戦犯が合祀されているから、自分は参拝しない、それが私の心だ」という内容のメモに抗弁できなかった。


確かに首尾一貫としていませんね。
信教の自由にあるように私事であるから認められる信仰を、公約という形で政治利用した事は政教分離に抵触する恐れが有ります。

また、外国の反応は内政干渉ではなく、個人の権利であることを保障する憲法を無視した批判であると批判するべきで、自ら政治とするのは間違いです。
「理由が不明瞭であるから参拝すべきではない」にはならない。
小泉や周辺の人間がどう言おうと、信教の自由で保障されていることを、参拝する人間であっても放棄できない。

また、参拝批判する人間に参拝しない自由はあるが、参拝する自由を妨害する自由は存在しない。
これが存在するのであれば、参拝する人間が参拝しない人間に参拝を強制するという、参拝しない自由の妨害と同様になってしまう。
ネットでの意見主張は思想の自由、表現の自由で保障されているの問題がないが、現状は麻生の案や国立追悼施設のような、 信仰の妨害という憲法違反を正当とする行動のための意見主張があることは無視できない。

参拝は票集めという政治利用であるから批判するのに、天皇の意見が小泉の参拝を批判する根拠になるとする「信仰に対する天皇の見解」の政治利用は良いのですか。

天皇は一個人でしかない。
君主でも神でもない。
天皇を神格化し(=天皇の意見を絶対視する)、小泉を奴隷化する(=小泉の権利侵害)。

天皇は国民でないが神で無く奴隷でもない存在。
小泉は権力者であるが、国民であり奴隷に出来ない存在。

>中国は、従来からA級戦犯を合祀することに反対を主張しているが、日本の人民と戦争指導者は区別して考えているというのが主張のベースだからだ。 そもそも戦争指導者と戦争に送られた人間とは立場が違う。 他国にそんなことを指摘されないとわからないほど日本人の思考能力が衰えたのかと思うよ。


他国の主張が正しいから、他国の政治的意味のある主張(=参拝停止)を受け入れなくてはならないということにはならない。
参拝停止の要求は内政干渉ではないが、この要求を呑まないために首脳会談拒否という外交の拒否は不当でしょう。
この不当な政治は、きっかけが小泉にあっても判断したのは中韓であり、責任は判断し行動した中韓にある。

戦争指導者は東京裁判で処刑された。
罪があるから、刑を与える。
刑を与えた後の、現在である靖国に眠らせる事を否定する事は、いまだ罪があることとする事と同様。
これでは刑に服した、与えた意味がない。
刑に不満が有る、いまだ嫌悪すべきものであるは、東京裁判や靖国神社という実例と違い思弁以上にならない。

以上。この内容に以下反論したい。

①「天皇が不快感を示さなかったということにはならない。示したということにもならない。
昭和天皇の言葉でない代弁は昭和天皇の言葉ではないから」

だから? タイトル含め小生のブログを見てもらえばわかると思うが、そんなことを問題にしているのではない。

富田メモの真偽に関わらず、さまざまな資料や証言からすると、A級戦犯の合祀に昭和天皇が不快感を示したというのは大いにありうることだと小生は言っているのだ。

その前段階のところで、必死に噛み付かれても筋違いとしか言いようがない。

②小泉の言っていることは首尾一貫していない。

この批判者も書いているように、小泉はまた今度は、8/15に参拝するのは公約だからと政治と結び付けている。

内政干渉と以前閣僚は反発して、最近は心の問題とかなんとかいって逃げていたと思ったら、小生のブログ記入後に公約だからと言い出した。

心の問題なんだか政治問題なんだかまったく不明であり首尾一貫していない。

要するに政治パフォーマンスだろと小生は推論している(ブログの最後の方をよく読むように)。

そんな政治パフォーマンスにだまされるなというのがこの文章の趣旨だ。

にもかかわらず、「『理由が不明瞭であるから参拝すべきではない』にはならない」とあたかも小生が言ったかのように書いている。

どこに俺がそんなこと書いたよ?

このブログだけでなく、どの投稿にもそんなことは書いていないが。

しかも、小生が信教の自由を妨害することに賛成しているかのようにこの批判者は書いているが、いつ信教の自由を妨害したのか。

何度も言うが、小泉が参拝するのは政治的パフォーマンスであると小生は推論している。

しかも、あまりにも根拠薄弱なため、周辺諸国から非難を浴びている。

そのような政治的な行為を批判しているつもりだし、そんなポピュリズムのパフォーマンスに賛成する人間も批判している。

そういう趣旨の文章なのに、何で信教の自由の妨害に話をすり替えるのか。

また、「天皇の意見が小泉の参拝を批判する根拠になるとする『信仰に対する天皇の見解』の政治利用は良いのですか」ともこの批判者は言っているが、いいとも悪いとも小生は言っていない。

何度もいうが、富田メモの真偽は問題ではない。

真偽は問題でないと考えている以上、政治利用するつもりも毛頭ない。

むしろ、富田メモで靖国参拝肯定者が右往左往したことからもわかるように、靖国参拝を声高に主張する人間がいかに靖国参拝(ひいては東京裁判や太平洋戦争など)をきちんと総括してこなかったことを小生は問題にしているのだ。

そのような議論のすり替えはやめてもらいたい。

「信教の自由にあるように私事であるから認められる信仰を、公約という形で政治利用した事は政教分離に抵触する恐れが有ります。 また、外国の反応は内政干渉ではなく、個人の権利であることを保障する憲法を無視した批判であると批判するべきで、自ら政治とするのは間違いです」

この文章はこの批判者の文章だ。

この批判者は、小泉が政治の都合で参拝していることを示しながら、勝手に信教の自由に議論をすり替えて持論を展開しているようだ。

この批判者は信教の自由として考えろと小泉に言っているようだが、当の本人が政治目的で参拝している(小泉自身がそう言っている)以上、それを政治的に小生が批判するのがなぜ悪い?

③ 「他国の主張が正しいから、他国の政治的意味のある主張(=参拝停止)を受け入れなくてはならないということにはならない」とあるが、これは何に対して言っているのか。

まさか、俺がそんなことを言っていると勘違いしているんじゃないだろうね。

小生は、他国(この場合中国や韓国)の言うことが正しいからそれに従えと言っている訳ではない。

そんなことは小生は一言も書いていないが。

確かに中国の主張(戦争の指導者と戦争に行かされた一般国民を分けて、前者に責任ありとする考え方)には一理あると思う。

A級戦犯は戦争で死んだ人間ではない。

東京裁判がなければ、生きていた人間だからだ。

戦争で死んだ人間と、戦争に行かせて自分は生き残った人間。

にもかかわらず、「外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀る」と言いながら、後者も祀る靖国神社。

それを何の深い考えもなく参拝する政治家。

中国の主張は、そのような矛盾や思考停止の人間を十分批判して余りある。

しかし、この中国の考え方はその反面、ある危うさを含んでいる。

戦争の指導者だけが悪くて、一般国民は悪くないという考え方になりやすい。

その結果、あの戦争から何を学ぶかという視点が失われてしまう。

実はこれは、満州事変から敗戦までの一連の行為において日本は悪くないと主張する輩と同じ結論になってしまう。

彼らも、日本は悪くないのだから学ぶ必要がないと考えているのだ。

だから、中国の主張は一理あっても賛成まではしない。

それから中韓の要求は不当とこの批判者は書いているが、そもそも一国の首相が心の問題といいつつも政治的に靖国参拝を利用している以上、外交交渉において政治的に中韓が非難するのはある意味仕方ないこと。

それなら最初から公約だの内政干渉だの言うなと思う。

また、このくだりは一体何を言いたいのか。 「戦争指導者は東京裁判で処刑された。 罪があるから、刑を与える。 刑を与えた後の、現在である靖国に眠らせる事を否定する事は、いまだ罪があることとする事と同様」

靖国神社は戦死した人間を祀るのでは?

裁判で刑死した人間を祀ることが目的の神社か?

この神社の教義からいって、A級戦犯が祀られるのがおかしいのではないか。

罪の有無や刑に服することは、靖国神社に祀られることと何の関係もないと思うが。

以上が小生の反論だ。

要するにこの批判者は全然的外れなことで批判してきたと言える。

この批判者がどう再反論してくるかわからんが、こちらの言っていることを勝手にねじまげて反論するのはやめてもらいたい。

これから1週間強帰省するから何もコメントできないが、そんな的外れなトラバやコメントを
残されても困るよ、ホント。

追伸

やっとこさこの反論を書き上げて、さーて公開しようと思って、このトラバをクリックすると、このトラバのサイトが開かない!?
反論するだけして、さっさと閉鎖したのか?
そのサイトとは「考頭夢形コウトウムケイ」とかいうサイト。
困ったもんだ。
でも、せっかくだからこの文章だけでも公開しよう。

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2006年8月 8日 (火)

日経の富田メモが誤報だと叫ぶ人たち~でも、それがどうしたの?

日経の富田メモ報道が波紋を呼んでいる。
そして、これを誤報だと叫ぶ人がいる。
昭和天皇がA級戦犯の靖国神社への合祀に不快感を示していたと富田メモに書かれていたと日経新聞が報じたが、これは侍従長の言葉であり昭和天皇の言葉ではないというのが誤報と主張する人々の趣旨である。

それで?

侍従長がそのようなことを言っていたという記録はあるようだが、それがどうしたの?
昭和天皇はどう考えていたのかということとは全く別である。
不快感が侍従長の言葉としても、天皇が不快感を示さなかったということにはならんのよ。

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実際のところどうか。宮内庁には公式に否定しているものの、昭和天皇が合祀に不快感を示したという関係者の証言もある。
しかも、最近明らかになりつつある資料からは、A級戦犯は東京裁判にかけられたが、昭和天皇は日本の占領政策に不可欠とGHQが判断して、東京裁判にかけられなかったことがわかっている。
自分が戦犯として裁判にかけられる可能性があったことを昭和天皇は十分認識していた。
それもあって戦後間もない時期に自ら退位を申し出たぐらいだ。

昭和天皇の性格はよく知らんが、普通の人間の神経なら、そんな経緯がありながらA級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝するか?

また、小泉首相は中韓など無視して靖国参拝をすべきだという輩がいるが、こいつら本当に笑える。
だってさあ、小泉が靖国に参拝するのは、戦没者遺族の票が欲しいがためだよ。
考えても見ればわかるが、首相になってからだろ、小泉が熱心に参拝しだしたのって。
しかも、参拝に関する発言がめちゃくちゃ。
以前は、公人でも私人でもなく参拝していると言いながら、周辺諸国が反発すると、閣僚が口をそろえて内政干渉だと叫んだ(本人は内政干渉と言わなかったが、そうではないとも言わなかった)。
ところが、最近になると、「心の問題」や「信仰の自由」などを口に出すようになった。
何のこっちゃ?
要するに参拝する理由などどうでもよいというのが実態なのだ。

だからこそ、富田メモが出たときも、「昭和天皇は昭和天皇で思うところがあって」や「心の問題」とひたすらオウムのように繰り返し、自分自身の心の説明もしなかった。
信仰の自由なんだから説明する必要もないといえばないが、そもそも日本の首相だし、参拝していることをおおっぴらにしているんだろ。
そのくせ、これだけ国民が注目しているのに、何一つ満足な説明も出来ない。
それどころか、「A級戦犯が合祀されているから、自分は参拝しない、それが私の心だ」という内容のメモに抗弁できなかった。

 

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大体だ、A級戦犯は戦争指導者であって戦死者でもない。
そもそも、戦死者として合祀するのが矛盾だ。
にもかかわらず、日本人はそんなことをまったく考えてこなかった。
そして、あの富田メモ。
A級戦犯合祀に不快感という内容は、A級戦犯という戦争指導者を靖国に合祀している矛盾を白日の下にさらすきっかけとなった。
あれで日本中が上へ下への大騒ぎ。
漫然と政治家の参拝パフォーマンスになんとなく引きずられ、東京裁判やA級戦犯合祀ひいては靖国神社の意味も日本人がまったく考えてこなかった証左と言える。

中国は、従来からA級戦犯を合祀することに反対を主張しているが、日本の人民と戦争指導者は区別して考えているというのが主張のベースだからだ。
そもそも戦争指導者と戦争に送られた人間とは立場が違う。
他国にそんなことを指摘されないとわからないほど日本人の思考能力が衰えたのかと思うよ。

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それどころか、最近は首相による無定見な靖国参拝への礼賛。
そのくせそんな人間に限って、靖国参拝に反対する政治家に対しては、靖国を政治の争点にするなだとさ。
靖国参拝を行う政治家を賛美しておきながら、よく言うよ。

しかも、参拝している政治家が富田メモでうろたえまくり。
要するに、(特に小泉の場合)パフォーマンスなんだろ、参拝は。
だから、富田メモ(真偽は明らかではないが)のメッセージに何ら抗弁できないんだろ。

そんなパフォーマンスを見て、中韓に毅然とした態度を取る首相と言って手放しで喜んでいる人間を見ると、本当に笑えるよ。
しかも、富田メモを見て、陛下の言葉を政治利用するべきではないだって。
何度も言うように、小泉は参拝をパフォーマンスとしか考えていないように思えない。
政治目的に利用しようとしているだけだろう。
昭和天皇の言葉を政治利用するなと言いつつ、小泉の参拝を支持する人間は、小泉ポピュリズムに政治利用されているんだよ。

 

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2006年8月 6日 (日)

みのもんたがいなくてもいい加減なTBSの朝ズバッ!(ATMでの現金振込の話)

8/3、朝ズバッ!で、ATMでの現金振込の限度額を本人確認の下限10万円超に引き下げることを報道していた。
金融庁が2日に公表したのだが、法令により、現金を振り込む際に金融機関に本人確認を義務づける金額の下限を、現行の「200万円超」から「10万円超」に引き下げるためだ。
一般からの意見を募った上で、関連法の施行令改正案を来年1月4日から実施する。

この背景には、マネーロンダリング防止やテロ組織への資金供与防止という世界的な要請がある。
犯罪組織やテロ組織への資金流出を防ぐ狙いである。

これにより、現金自動預け払い機(ATM)から、10万円超の現金を直接振り込むことはできなくなる。
10万円を超える現金を振り込む場合には、銀行窓口で免許証や保険証などを提示し、金融機関が本人確認することが必要となる。
なお、ある時期以降、口座開設時の本人確認が必須となっているし、それ以前の口座開設でも口座開設時以降に本人確認を実施していることもある。
既に保有口座で本人確認を行っていれば、現金自動預け払い機(ATM)を利用する場合でも、キャッシュカードや通帳を使って他の口座に振り込む場合は、規制外となる。

これに対し、経済ジャーナリストの嶌信彦は、消費者優先の流れに反しおかしい、金融機関は消費者のことを考えていない、IT化を進めるべきだという、実に的外れでトンチンカンなことをのたまわっていた。

バカじゃないの、こいつ。

あのさあ、このようなマネーロンダリング防止やテロ資金対策の方が全世界的な潮流だよ。
もし、日本がこの規制を行わなかった場合、マネーロンダリング防止やテロ資金対策に消極的な国と批判されかねない。
それを受けて、金融庁も金融機関に対し、現金によるATMでの振込の限度額を引き下げるべく関連法令を変更するわけだよ。
本人確認資料を元に本人確認を行った口座については変更ないが、口座なしでも可能な現金での振込については金融機関は仕方なし限度額を引き下げるわけよ。
別に好き好んでサービスの質を落としているわけではない。

世界的な規制の流れに則ったものであり、法令順守の観点からいうと、なおさら従う必要がある。
金融機関だって、金融庁から世界的な規制の観点で限度額を引き下げるよう法令を定められたら、引き下げざるを得ない。

あとさあ、事の本質が本人確認にあるのに、IT化でどうやって対応するんだ。
本人確認っていうのは極めてアナログ的な事務だぞ。
それは、本人確認資料が紙ベースという極めてアナログな媒体だからだよ。
全国民に国民総背番号のように番号を振って、ICカードに指紋情報と一緒に入れて、民間の金融機関でもATM等で簡単に本人確認できるような仕組を作れば、IT化できるが、そうでもない限り不可能だよ。

それを安直に消費者の味方ぶって、金融機関を批判するのはいかがなものか。

この男の貧弱なジャーナリズム精神(上面だけよく見せている金メッキのようなもん)を露呈しているに過ぎんよ。

ところで、海外に行くと常々感じるのが日本のATMの便利さよ。
出金だけでなく、入金はできる、振込もできる。
海外はほとんどが払戻のみ。
日本で決済ビジネスを展開しようとした企業や団体が次々と日本から撤退したのは、ある意味当然と思われる。

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