筆者は映画が好きである。
といっても、映画を熱心に見ているのはここ7・8年のことであり、年間150本程度(劇場・テレビ・DVD含め)しか見ていないから、筋金入りというわけではない。
とはいえ、ある程度は見たわけなので、非常に強烈に印象に残る映画もあった。
筆者が好きな映画監督の一人に、ラース=フォン=トリアーがいる。
日本では、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の監督として有名だが、筆者がこの監督を好きになったのは、「奇跡の海」がきっかけである。
これは、宗教と信仰心というなかなか難しいテーマをヒロインの悲劇を通して描く、非常に考えさせる映画だった。
この監督が取り組んでいる作品にアメリカ三部作と呼ばれるものがある。
アメリカを舞台に、グレースという主人公が繰り広げる人間劇であり、アメリカの政治体制への痛烈な風刺でもある。
で、ニコール=キッドマンは、この一作目である「ドッグヴィル」にグレースとして出演した。
人間感情を無視した独善の押し付けが招く悲劇を描いた衝撃的な作品であり、ネオコンやキリスト教保守主義を暗に批判しているともとれる。
この映画にも筆者は感銘を受けた。
「ドッグヴィル」という小さなアメリカの村に、追っ手から逃げて救いを求めるグレース、そのグレースを利用し村人を教化しようとする村のインテリ青年。
この「正義」を振りかざす村のインテリ青年の企みが、やがて村人とグレースを悲劇に追い込むことになる・・・。
この悲劇により人々の精神が追い込まれていく状況をスクリーンでも表現すべく、監督は非常に恐ろしい手法を取った。
映画の撮影は、ある薄暗い倉庫を利用し、その倉庫に役者を閉じ込めて行った。
地面に黒い線で道路や境界線を引き、簡単な扉や窓を設けただけのシンプルなセット。
それを「ドッグヴィル」として撮影するのだが、その様子もメイキング映画として公開された。
村人に責められるグレース役のニコール=キッドマンが精神的にも耐えられず、撮影終了後に泣き出すシーンがあったり、監督を異常者としてののしる役者もいたりして、彼女がいかに精神的に追い込まれていたかがわかる。
そのせいだろうか、二作目の「マンダレイ」には彼女は出演しなかった。
でもなあ、よりによって、「奥さまは魔女」なんかに出演しなくてもいいのに。
アメリカの映画の賞には、「ゴールデンラズベリー賞」(略してラジー賞)という、最低映画を決める賞の授与式が、アカデミー賞の授与式の前日に行われる。
「奥さまは魔女」の出演により、彼女は共演者と共に、最低スクリーン・カップル賞を取ってしまった。
ラジー賞はそこまでけなさなくてもいいじゃないのという映画もあるけど、「奥さまは魔女」は受賞に値するほど退屈な映画だった(WOWOWで最近見た)。
最近リメイクばやりだけど、十分鑑賞に堪えられるリメイク映画はあまりないのが現実だ。
この映画もまさにそのとおりの映画だった。
ところで、アメリカ三部作の二作目「マンダレイ」ではグレースを別の女優が演じたが、前作同様非常に考えさせられる映画だった。
「マンダレイ」では、奴隷制度廃止後も奴隷として黒人を使い続けるアメリカ南部の綿花農園が舞台。
グレースはこの農園にたどり着いてまもなく、綿花農園の領主たる老女が死んでしまう。
老女の遺言でグレースは農園の領主になると同時に、奴隷制度を時代遅れとして農園の黒人奴隷を解放する。
しかし、その後悲劇がまた引き起こされる。
この映画のラストでは、農園「マンダレイ」の秘密が暴かれる。
それは衝撃的だけでなく、アメリカの歴史・システムをも観ているものに想起させる。
「マンダレイ」の秘密が暴かれるとき、アメリカの歴史・システムも白日の下にさらされるのだ。
というわけで、このすばらしい映画にニコール=キッドマンが出演すれば、女優としてもっと名を上げていたと思うだが、という次第である。
余談
アーノルド=シュワルツネッガーもラジー賞受賞経験あり。
また、華氏911に出演(?)した米大統領ブッシュとラムズフェルドもそれぞれ最低主演男優賞と最低助演男優賞を受賞している(もちろん、作品そのものはラジー賞を受賞していない)。
過去マッカーシズムもあり、ハリウッドは共和党を相当嫌っているようだ。
ハリウッドのリベラルぶりに比べて日本はどうかと思ってしまう。
映画は表現の自由が生命線となるにもかかわらず、あまりそういうことを考えていない映画関係者が多いような・・・。
最近のコメント